歴史

天竺へ渡ろうとした人々
中国・朝鮮の入竺僧

記録によると中国で最初の入竺僧は東晋の法顕(ほっけん)をもって嚆矢とされる。中国では4世紀の末から8世紀にかけて名前が残っている入竺僧だけでも169名いる。無名の僧を加えると千名を超えるといわれる。玄奘や義浄は盗賊に会っ […]

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天竺へ渡ろうとした人々
真如親王・高岳親王

インド(天竺)へ渡ろうとして、最初に行動した日本人として記録にのこっているのは、いまから約1200年前の真如親王である。 真如親王(しんにょしんのう)は799年平城天皇第3皇子として生まれた。俗名は高岳(たかおか)親王と […]

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天竺へ渡ろうとした人々
奝然(ちょうねん)

最初に宋に入国したのは平安中期東大寺の僧ちょう然である。ちょう然は儀礼化した仏教を憂い,釈尊の教えに帰ろうと宋に渡る決意をした。44歳のちょう然は「願わくば先ず五台山に参り、文殊の即身に逢わんと欲し、願わくば次に中天竺に […]

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天竺へ渡ろうとした人々
栄西(えいさい)

栄西は今の岡山県の出身で神官の子として生まれた。おさなくして仏教の教学に興味をもち、14歳のとき比叡山延暦寺で受戒、19歳のとき今の鳥取県の大山寺(だいせんじ)で天台密教をまなんだ。 栄西がはじめて中国にわたったのは、平 […]

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天竺へ渡ろうとした人々
明恵上人(みょうえしょうにん)

明恵上人の天竺行 明恵上人ほど釈尊を慈父と思い、ひたすら釈迦牟尼仏その人を恋い慕う日々を過ごした人はいないともいわれている。紀州の糸野において修行していた頃 、 明恵上人はお釈迦様に対する恋慕(れんぼ)の思いを抑えがたく […]

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天竺へ渡ろうとした人々
森本右近太夫(もりもとうこんだゆう)

辺境の日本 仏教僧の旅は大きく二つに分けられるという。真実の仏法をもとめて他国へ渡り、聖地を巡礼してこころの浄化をはかり、仏典や師を求める「求法(ぐほう)の旅」と、もう一つの旅は、自分が体得した境地を他の国の人々に伝える […]

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天竺へ渡ろうとした人々
島地黙雷(しまじもくらい)

インドへ最初に訪れた日本人は戦国時代に九州のキリシタン大名たちがローマに送った天正使節団の少年達であるが当時ポルトガル領だったゴアに立ち寄っただけである。インド国内を最初に旅行したのは島地黙雷(1837-1911)である […]

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天竺へ渡ろうとした人々
北畠道龍(きたばたけどうりゅう)

最初にブッタガヤを訪れた日本人 明治十六年ついに日本人で初めて仏蹟巡礼に成功したのは 紀州出身で浄土真宗西本願寺派僧侶の北畠道龍(きたばたけどうりゅう)(1820-1907)である。明治14年末に横浜を発ってヨーロッパを […]

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天竺へ渡ろうとした人々
南條文雄(なんじょうふみお)

浄土真宗大谷派(東本願寺派)の僧侶だった南條文雄(1849-1927)は二十六才のとき明治九年に英国留学し、マックス・ミューラーよりサンスクリットを学び、明治十七年アメリカを経由して日本へ帰国した。南條文雄は「南條カタロ […]

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天竺へ渡ろうとした人々
釈興然(しゃくこうねん)

日本人で最初の スリランカの上座部僧侶となった釈興然(1849~1924 )は横浜で高野山真言宗の住職を務めていた。早くからインドを志していた彼は明治十九年九月十九日、横浜からフランス船に乗り十月にセイロン(今のスリラン […]

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天竺へ渡ろうとした人々
山崎辨榮[弁栄](やまざきべんねい)

最初にインドの仏蹟巡礼をした日本人 日本人で最初にインド各地の仏蹟各地を巡拝したのは山崎弁栄上人である。ブッタガヤだけは弁栄上人が訪れる十年前の明治十六年に北畠道龍上人が訪れている。 日清戦争が勃発した年の明治二十七年十 […]

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神話
ヘルメスの杖

ギリシャ・ローマ神話で魔法の杖ケリュケイオン(ラテン語でカドゥケウス)を持つのはヘルメスである。彼の父はゼウスで母はマイアといった。マイアは母を意味するアルカディアのキュレネ山の女神で、ヘルメスもそこで産まれた。

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神話
女神の時代 地母神信仰

古代の神々の最高神は女神で、地母神信仰が盛んだった。古代社会では母親が主な親であり、大地と母は命を生み出す事から同一視されていた。やがてゼウスのような男性の天候神が力をもつようになり、血を血で洗う男性神による都市の侵略がおこり、相手を皆殺しにするような凄惨な戦いが始まった。

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歴史
神智学

クリシュナムルティは幼児の頃見いだされ世界教師として神智学協会に育てられた。人智学協会をはじめる前のシュタイナーは神智学協会のドイツ支部長だった。神智学の教えでは隠された秘密の智慧を伝授する教師(アデプト、マスター)達がいてそれを地上界に仲介する伝達者に選ばれたのがブラヴァツキー夫人ということだった。

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歴史
グルジェフの痕跡

G. I. Gurdjieff ロシアに革命が起こる直前の1912年にグルジェフはモスクワにこつ然と現れた。ヨーロッパにスクール(人間の調和的発展のための学院)を創設し「システム」と呼ばれる教えと、「ワーク」と呼ぶ実践を […]

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